茶 事 参 加 記

茶会を思い立ったそもそもは会の初の催し、4月3日のお花見(夜桜)でした。場所はアジサイ寺として名高い名刹・小金「本土寺」で夜桜の見事さも思いのほかでしたが、その桜にもまして心に残ったのが本堂に向かう途中の茶室の佇まいでした。
そんな折、同行の方から松戸に茶室のあるお店があると伺い、見せていただくことになりました。


茶室は露地のついた広間と小間、水屋と本格的なものでした。そして茶道具も揃っていましたが、あまり使われていないらしく、これを使わない手はない、ということになった次第です。


本格的な茶事、茶懐石は初めての経験でした。
茶会が始まる前に待っている間にいただいた桜茶は気分をあらため、心を落ち着かせる清々しい一服でした。そして茶懐石が始まりました。


初めまだ蒸しきらない一盛のご飯と湯葉の味噌椀、そして向附の膳が運ばれてきました。そのときのご飯の甘かったことが今も忘れられません。

その後、煮物椀焼物預鉢と亭主の心づくしの季節を感じる山海のご馳走の膳が次々と振舞われ、そして湯桶に入った “お焦げご飯” で仕舞いの膳となりました。

賞味する、堪能するという言葉の意味はこの茶懐石のそれではなかったのかと思いました。
食事の流れの途中での八寸を肴に “千鳥がけ” に杯を進めていく亭主と客のお酒の酌み交わし方も印象深いものでした。
しかし、これはまだ本来の目的のお茶をおいしく頂くための前哨戦でしかなかったのでした。


食事が終わり、露地の腰掛待合で待つことしばし、茶席の用意のできたことを知らせる合図に亭主が喚鐘 (かんしょう) をならします。
喚鐘の響きは荘厳で、何やら宗教色を帯びて、茶会の気分をいっそう盛り上げていました。 茶室に入る露地には打ち水がほどこされ、そして茶室には花が生けられ、香木が焚かれていました。


一服のお茶のためになんと多くの労力と心配りを要するのでしょうか。
見知らぬもの、見知ったものが一堂に会して、一椀の濃茶を回し飲み、同じ時を共有して、茶会は終わりました。
一期一会を実感した一時でした。