話のかき揚

天ぷらについての川柳

江戸文学の中で、もっとも庶民的な、もっともユーモアと風刺に富んだ文学は俳界の落し子である川柳である。俳句も初めは滑稽を看板として出発した民衆詩であったのだが、芭蕉が出てきて「わび」だの「さび」だの「しおり」だのと、すっかり反社会的な優美な自然詩にしてしまい、オツにすましたことのきらいな江戸の庶民はついていけなくなった。

そうした江戸庶民の要求にこたえて、俳句と同じ五・七・五という短歌形式で、いいたいことを言わせはじめたのが、初代柄井川柳という人である。

暉崚康隆著 『日本人の笑い』より (光文社カッパブックスS36発行)

そんな川柳の題材として蕎麦、鮨、鰻の蒲焼、そして天麩羅など、江戸の町を賑わした屋台に映し出される世情もたくさん詠まれている。

参考・ 『江戸庶民の天麩羅事情』 花咲一男  別冊サライ(小学館)より

聖天を天麩羅にして 願をかけ
聖天(しょうてん)とは浅草の通称待乳山(まつちやま)に今もある聖天宮の本尊・聖天(別名歓喜天)のことだ。象頭人身のふたりが抱きあっている

聖天宮は油と縁が深く、祈願する時に米の粉に胡麻を混ぜ合わせ、なかに餡を入れて油で揚げた団子を奉納し、香油をわかして尊像に注ぐ慣わしがある
そのため、天麩羅とのかけあいの句となった

作者は聖天に香油をかけている様子を詠んだのだろうが、食材とは関係のないものを揚げていても天麩羅と言っている

当時すでに揚げ物と言えばまず天麩羅を思い浮かべる江戸の庶民がかなりいたのだと思われる

浅草 待乳山・聖天宮
小学館「サライ」平成13年新年号より

聖天は天麩羅  釈迦は茶漬けなり
聖天は天麩羅によくたとえられた。お釈迦様は4月8日の花祭りに甘茶をかけられる

大罪の賊 天麩羅におこなわれ
石川五右衛門は京で釜茹で (油で・・・天麩羅にされた)

洛中もみんな見に来る 油あげ
京都中から五右衛門の釜茹で見物にやってきた

聖天の曰く  五右衛門は弱いやつ
聖天様はたびたび熱い香油をかけられている
それに比べて五右衛門たった一回であの世行き



久しぶりに天丼を食ふ。
初の二口三口は前後左右の物音も聞こえなくなる程うまい。
しかし凡そ半分位も食ひ終ると、又いろいろ外の事を考え出す。
御飯が丼の底まで汁でぬれてゐる。
天丼と云ふものは、犬か猫の食ふものと間違えて、人間の前に持ち出したのだろう。 ああ、情けないものを食った。
明日からは、もうなにも食ふまい、腹がへったら、水でも飲んでゐようと考える
内田百聞「大人片傳」 
文芸春秋「ベスト オブ 丼」(昭和62年3月発行)より 


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